南米某国での日々
2002年11月12日到着して3日目で自分の置かれている
状況の過酷さを把握しつつあった
今までの書類や写真等でこの現場の
作業方法や段取りの仕方等を確認し、
いくつかの疑問点を聞くべく、受話器を
上げ、ダイヤルを回す、勿論、相手は
首都にいるK女史に
しっしかぁーしぃ
電話線が何処かでの戦闘により切られてしまい
復旧の目途もたっていないという
仕方なく、首都に行商に行く人に手紙にして
お願いしたのだが必ず届く保証は無いとのこと
全ての事に、今までの経験・知識・慣例
が通用しない現実に、世界の広さと
自身のちっぽけさがくっきりとしすぎて、
もう開き直るしかなかった
その時は必死さだけで、寂しさなどは
全然感じなかったことだけが幸いした
連日、語尾に『よ』をつけるオッサンと
現場の進め方について、ケンケンガクガク
と議論しても暖簾に腕押し状態
機械と作業員をもっと増やせないか聞くと
何か奥歯にかかったようないいように
釈然としないまま数日過ぎ
行商の人にお願いしたK女史宛の手紙の
返事が手荷物となって届いた
中身は、小分けされた味噌、醤油、梅干し
等々の食品とこの現場での生活&仕事の
How to本的なファイルされた書類だった
どうして逢った瞬間にこのファイルを
渡してくれなかったのか、言葉にならない
怒りがこみ上げていた
分厚い書類を読んでわかったことは
『よ』をつけるオッサンは元々、こちらの
政府側から派遣された通訳だったのが
組織側に買収され、現場開始当初に
首都より持ってきた機械の多くはこのオッサン
が売り飛ばし、組織に貢献(何を?)したと
書いてあった、そして書類の最後にこの現場の
置かれている諸状況のまとめとして
反政府側、麻薬組織側、両方よりダム建設は
歓迎されていないとの最悪の一言だった
すぐに『よ』をつけるオッサンに事の真相を
問いただすと、組織側のこの地域のトップの
指示に従っただけで自分は何も悪くないよ
とぬけぬけとのたまう
もう怒り心頭で感情のまま、そいつをここに
呼んでこいと言ってしまった
翌日、2,30人の武装した集団が現場事務所
にやってきたトップの人間と思わしき人は
Vシネマの哀川翔そのまんま
テーブルを挟んでソファに腰掛けると
ミョーに甲高い声で思わず笑いそうになったが
グッとこらえ、彼の話を聞いた
この地方の産業の現状、人々の生活の現状
等々、だからダムなどいらないという
摩訶不思議なこじつけに至る結論と
誰のおかげで生きていられるのか云々間ぬん
不思議なことに銃を目の前にしても全然
怖くなかった、銃の怖さが今まで身近なもので
なかったものに起因するのか知らないが
私も事の全てを伝えた、ダム建設には
日本国民の血税であなた方にプレゼント
されること、麻薬ではない別の作物によって
自立して欲しいこと、ダム建設が決して
マイナスではないこと等々
そして完成させるには貴方の全面的な協力が
不可欠であること
完成しなければ日本に帰れないこと
完璧に通訳されているかは疑問だったが
言いたいことは全て言っておこうと決めていた
相手の協力的な答えを聞く前に、
飯は喰ったか?の質問にとまどいながら
素直にまだと答えると
街のレストランで飯でも喰いながら話そう
と言うことになりゾロゾ多人数で席についた
他の客、店員と私たちが入ってから一瞬にして
店の雰囲気が凍り付いたようになったことで
初めて私は目の前にいる人物の持っている
恐ろしさというものに気がつき恐怖した
顔が引きつり始めた中で、食前酒で乾杯
(一瞬で記憶が飛びそうなテキーラだった)
誰もが彼の言葉を聞いていた
何でお前は私を恐れないで堂々と話しが
できるのかと聞いてきた
私は私が日本のサラリーマンだからと答えると
その場にいた全員が一斉に笑い出し指笛まで
鳴って、相手もテーブルを叩き大爆笑し、
キョトンとしている私に酒を勧め、お前の
ようなおかしな野郎は初めてだと笑っていた
一瞬にしてその場が和み、それぞれが酒を
飲み始め、何故笑われたのか考えながら
私も酒を飲んだ。
つづく
状況の過酷さを把握しつつあった
今までの書類や写真等でこの現場の
作業方法や段取りの仕方等を確認し、
いくつかの疑問点を聞くべく、受話器を
上げ、ダイヤルを回す、勿論、相手は
首都にいるK女史に
しっしかぁーしぃ
電話線が何処かでの戦闘により切られてしまい
復旧の目途もたっていないという
仕方なく、首都に行商に行く人に手紙にして
お願いしたのだが必ず届く保証は無いとのこと
全ての事に、今までの経験・知識・慣例
が通用しない現実に、世界の広さと
自身のちっぽけさがくっきりとしすぎて、
もう開き直るしかなかった
その時は必死さだけで、寂しさなどは
全然感じなかったことだけが幸いした
連日、語尾に『よ』をつけるオッサンと
現場の進め方について、ケンケンガクガク
と議論しても暖簾に腕押し状態
機械と作業員をもっと増やせないか聞くと
何か奥歯にかかったようないいように
釈然としないまま数日過ぎ
行商の人にお願いしたK女史宛の手紙の
返事が手荷物となって届いた
中身は、小分けされた味噌、醤油、梅干し
等々の食品とこの現場での生活&仕事の
How to本的なファイルされた書類だった
どうして逢った瞬間にこのファイルを
渡してくれなかったのか、言葉にならない
怒りがこみ上げていた
分厚い書類を読んでわかったことは
『よ』をつけるオッサンは元々、こちらの
政府側から派遣された通訳だったのが
組織側に買収され、現場開始当初に
首都より持ってきた機械の多くはこのオッサン
が売り飛ばし、組織に貢献(何を?)したと
書いてあった、そして書類の最後にこの現場の
置かれている諸状況のまとめとして
反政府側、麻薬組織側、両方よりダム建設は
歓迎されていないとの最悪の一言だった
すぐに『よ』をつけるオッサンに事の真相を
問いただすと、組織側のこの地域のトップの
指示に従っただけで自分は何も悪くないよ
とぬけぬけとのたまう
もう怒り心頭で感情のまま、そいつをここに
呼んでこいと言ってしまった
翌日、2,30人の武装した集団が現場事務所
にやってきたトップの人間と思わしき人は
Vシネマの哀川翔そのまんま
テーブルを挟んでソファに腰掛けると
ミョーに甲高い声で思わず笑いそうになったが
グッとこらえ、彼の話を聞いた
この地方の産業の現状、人々の生活の現状
等々、だからダムなどいらないという
摩訶不思議なこじつけに至る結論と
誰のおかげで生きていられるのか云々間ぬん
不思議なことに銃を目の前にしても全然
怖くなかった、銃の怖さが今まで身近なもので
なかったものに起因するのか知らないが
私も事の全てを伝えた、ダム建設には
日本国民の血税であなた方にプレゼント
されること、麻薬ではない別の作物によって
自立して欲しいこと、ダム建設が決して
マイナスではないこと等々
そして完成させるには貴方の全面的な協力が
不可欠であること
完成しなければ日本に帰れないこと
完璧に通訳されているかは疑問だったが
言いたいことは全て言っておこうと決めていた
相手の協力的な答えを聞く前に、
飯は喰ったか?の質問にとまどいながら
素直にまだと答えると
街のレストランで飯でも喰いながら話そう
と言うことになりゾロゾ多人数で席についた
他の客、店員と私たちが入ってから一瞬にして
店の雰囲気が凍り付いたようになったことで
初めて私は目の前にいる人物の持っている
恐ろしさというものに気がつき恐怖した
顔が引きつり始めた中で、食前酒で乾杯
(一瞬で記憶が飛びそうなテキーラだった)
誰もが彼の言葉を聞いていた
何でお前は私を恐れないで堂々と話しが
できるのかと聞いてきた
私は私が日本のサラリーマンだからと答えると
その場にいた全員が一斉に笑い出し指笛まで
鳴って、相手もテーブルを叩き大爆笑し、
キョトンとしている私に酒を勧め、お前の
ようなおかしな野郎は初めてだと笑っていた
一瞬にしてその場が和み、それぞれが酒を
飲み始め、何故笑われたのか考えながら
私も酒を飲んだ。
つづく
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